スミノフ

居酒屋に行って一番に頼むお酒は
ハイボールかレモンサワーだけど
盛り上がってきて頼むお酒は
カクテルかワインだったりするけど
私が愛するお酒はスミノフだ。

お酒が好きだ。
別に依存してるわけでも
アホみたいに飲むわけでもない。
ただほんの少しお酒を飲んで
少しだけ浮ついた頭でする会話が、
観る映画が、歩く夜道が、
たまらなく好きだ。

酒を愛してやまない父を見ながら
絶対に飲まないと固く心に誓っていたけれど
21歳になる今、お酒は私の生活の一要素になっている。

宅飲みや旅館に買っていく時に
チョイスするのはほろ酔いやビールで
間違いなくスミノフをチョイスしない。
スミノフは特別だ。
なんだか泣きたい夜に飲む時や
1人酔いたい夜にこっそりコンビニで買う。
はたまた好きな人とコンビニに寄った時に
飲みたいのと言ってそっと渡す。

少し音を立ててレジ台に置き
会計を済ませて店を出て
力を込めて蓋を開ける。
びんに口をつけるその瞬間
びんが歯にあたるその瞬間
私は感傷的な大人になった気分になる。
タバコを吸うようなそんな背徳感がスミノフにはある。

スミノフを飲むなら
一人で無理して飲みきるか
好きな人と飲むかのどちらか以外はしたくない。

誰かがスミノフはメンヘラのお酒だと言ったけどあながち間違っていないかもしれない。
今日だってスミノフを飲みながら
夜風に吹かれてこんなことを書いている。

きっと明日の朝にはまた
真面目な顔をして満員電車に乗って
真面目な日々を送るんだから
少しくらい、ずるくなったっていいじゃん
ダメな大人になったっていいでしょ。

そんな日でした。

もし:ゆるい幸せがずっと続いてしまったら

何ともない日の夕方に

いつものカフェで作業をしていたら

たまらなく寂しくなったので慌ててブラウザを立ち上げて

ソラニンを聞いてみた。

 

「思い違いは空の彼方」で始まる有名すぎるこの曲は

どんな時に聞いてもダイレクトに刺さってくる。

映画の中で歌う宮崎あおいちゃんの声がまたすごく綺麗で

嫌な思い出も辛い記憶もある曲だけど

全ての曲の中で一番好きだ。

 

大学生は世の中で一番贅沢な職業だ。

職業欄に大学生と書く時、1文字ずつ確かめるように書く。

 

たまに起きられない授業とか

辞めたいと言いながら続けるバイトとか

他愛ない友達との会話とか

たまに酷く酔っ払う飲み会とか

陽が昇るまでする夜更かしとか

朝イチの空いた映画館とか

思い立って出かけるカフェとか

急に逃してしまう終電とか

好きな時に好きなことをしてしまえる

色んな特権を与えられた職業が大学生だ。

世界で一番時間を持っていて、自由で、どこへでもいける。

 

これから社会に出る40年間の前に、

人生で一番自由な4年間を与えられる。

これは本当に恵まれたことで、

大学に行くことを許してくれる環境とか

学費を払ってくれる親とか

自分だけでは絶対にありえない貴重なもの。

 

こんなゆるい幸せが一生続けばいいのに

だけど「例えば」この幸せがだらっと続いてしまったなら

何年も何十年も続いてしまったなら

それは子供料金で入る遊園地のような

ずるさを持ち合わせた意味のないものになってしまう。

終わりがないほど怖いものなんて世の中にない。

 

ゆるい幸せは長く続かない、終わりが来ることを誰もが知っているからこそ、幸せであり特別なんだと。

さよならだけの人生かもしれないけどその中で私たちは幸せを探しながら悩みながら、今日も明日もなんだかんだ生きてくんだろう。

 

気がつけば3年生になっていて

やりたいことをやるだけではいけない年になっている。

悪い種が芽を出さないように、色んなことからさよならしなきゃ。

この特権を、幸せを捨てる勇気を。また違う何かを探さなきゃ。

ああでもまだもう少しだけ、ゆっくり、だらっと、していたいなあ。

 

そんな日でした。

 

紙パックのリプトンは最強の兵器

体調をひどく崩した。

熱と腹痛にうなされる日々の中で久しぶりに文章を書く。

 

色んなことを書こうと思いながら

なんだか余裕のない日々を過ごしていたら

もう夏がそこまで来ている。

 

時間は私たちの想像よりも

ゆっくりなようでとても早い。

その時々で感じたことをしっかりと形にしておかないと

言葉は流れて思いは消えていく。

 

制服に身を包んでリプトンの紙パックを飲む女子高生は

ジャージ姿で校舎から出てくる男子高校生は

間違いなく世界で一番強い。

私にもそんな時があって、あれから何年も生きてきたのに

あの頃より弱くなってしまった。

 

自分は何者にでもなれると疑いなく信じていた

そんな日々において私は世界で一番強い女子高生だった。

大声で叫びながら走ることも

昼下がりの教室で汗を流すペットボトルと無為な時間を過ごすことも

思い出せないくらい下らないことでバカみたいに笑うことも

だんだんとできなくなっていて

向こう見ずに歩いて生きていた日々は

地図を片手に安全に間違いのないように生きる日々へと変わる

 

多分それが大人になるということで

悲しいけれど切ないけど

受け入れるしかないんだと思う

 

残したいもの、お別れするもの。

しっかり見極めて取捨選択をして生きて行く

そんな年齢にもうなっている。

私は一体何を選んで何とお別れするのか。

考えないと、いけないなあ。

 

そんな日でした。

穏やかな春の日のお茶漬け

ようやく春らしい日がやってきた。

例年よりも寒い日が続いて

冬物のコートをしまおうとしてはまた着るような

なんだか落ち着かない日々だった。

 

20年間、私は冬と言う季節が好きなのだと信じて生きてきたけれど

私が好きなのは春だと

21年目にして気がついた。

 

私にとって春は、キノコバター茶漬け。

泣きながら家を出た休日の午後

友達と初めていった大学近くのカフェで食べた

キノコバター茶漬け。

 

私の記憶はいつもそう言った何かとともにある。

全てをかけたピアノも部活も賞状たちも

文化祭の涙も汗も

友達の顔や名前も

あんなに全てを持っていた高校時代を

思い出そうとしても思い出すのは

春物のカーディガン。

 

少し分厚い、首元と手首に白いラインの入った

ネイビーの大きなカーディガン。

ブレザーだと汗がじんわりとしみ込んできて

でもカーディガンだと寒くて。

ブレザーを着たり脱いだりするのが好きだった。

 

私の春は

ネイビーのカーディガンとキノコバター茶漬けと共に

穏やかな幸せとして存在している。

 

春になる度に

私は知らない誰かに恋をしていて

春になる度に

やるせなさも寂寞も笑い飛ばしてくれるようで

自分は何者にもなれるのだと

全てをやり直して生まれ変われるのだと

本気で信じている。

 

だから私は春が好きで春に恋していると

気がついた21年目の春。

穏やかな日の差すカフェにて。

 

そんな日でした。

 

ブログを始めました。

大学生のうちに日記を書くべきだよと言われて、そんなもんかと思いながら

文房具屋さんに行くのも何だかめんどくさくて

きっとノートだとまた失くすとか見られるとかお金とかそういう色んなことを心配してしまうので

ならいっそとブログを始めてみた。

 

思うこととか考えること見たもの感じたもの、

写真でもSNSでも残しきれないようなそんな感覚を、

いつか思い出せるように書いてみたいと思う。

 

きっと10年後に頭に浮かぶのは

舞台やバイトや旅行のことではなくて

何となく行ったショッピングセンターや

歩いた道やふとした時の寄り道

映画館のポップコーンのサイズを迷ったこと

空きコマにぼーっと座っていたベンチ

なんかが思い出されていくんだと思う。

 

断片的な何かをここに、残していけたらいいな。

 

そんな日でした。