ハッピーエンド

夏の始まりと共に21年間出たくて仕方なかった千葉を出た。

地元が嫌いで家が嫌いで千葉が嫌いだった。

 

家族のことはもちろんだけど

20 分に一本しか来ない電車とか

5分もあれば見える田んぼとか

21時で閉まるマクドナルドとか

呑気な地域の町内会とか

マンションの昔馴染みの付き合いとか

ずっとここに居るんだという固定観念とか

そんな自分を縛り付ける全てのものから

逃れたくて仕方なくて

見えない何かと常に戦いながら生きていた

 

今日、実家に帰って

駅もファミレスもマクドナルドも家も家族も

何も変わらないのに、もうここは自分の帰る家ではなくて

ここの一員ではなく、私は確かに来訪者で

ああそうか、ここは故郷になったのだと感じた。

見慣れたものたちは私に安心感や思い出を与える中で

やっぱりずっとここにいてはいけないんだと思わせてくれる。

 

自分を縛りつけるものから逃げるために

特にこの5年間

私は必要以上に自分を追い込み、見えない何かと常に戦ってきた

目をギラつかせながら、ボロボロになりながら

自分の生きる道を自分が誇れる何かを探してきた

辛くなかったといえば嘘になる。

喚くほどに泣いたり、怒ったり、泣くほど笑ったり

常に気を張り詰めながら激動する気持ちと共に生きてきた

 

今、私はひどく泣くことも怒ることも少なくなった。

毎日家に早く帰ってご飯を作る、お皿を洗う、シャワーを浴びて洗濯をする。

映画を見たり人と話したりしながら寝る。

実家に居た時のように外食をすることも必要以上に人と会うことも減った。

インスタに上げる頻度は減り、ツイートも他愛のないものになった。

私は今がとても幸せだ。

 

鍋を置いたらまな板が置けない狭いキッチンも

すぐに葉っぱが落ちてくる室外機も

温度調節が難しい狭いユニットバスも

掃除が大変なトイレも

回収の少ないゴミ捨ても

汚れの取れない排水溝も

私にとってはどれもたまらなく幸せで愛おしい。

 

毎日働く、毎日学校に行く、疲れる。

稼いだお金は家賃になって、貯まらない。

それでも、私の心は満たされてる。

好きな時間に起きて、食べたい物を考えて作って、

好きなタイミングで動いて、好きな人を呼んで、好きな時間に寝る。

そんな当たり前の幸せは、私が何年も何年も探してきたものだった。

 

戦い続けたその先にあったものは

驚くほど静かな波一つ立たない海のようで

この幸せがずっと続けばいいと思う。

 

何かがたまらなく欲しいとかどこかに行きたいとか

強い思いや願いは今はなくて

ただ、自分とその周りの大切な人たちのために生きたい。

 

私はハッピーエンドが嫌いだ。

私はハッピーエンドを信じられない。

自分が幸せになる自信がまだない。

今、1年前の自分が欲しかったものを1つ残さず叶えている。

いつか何か報いが来ると怯えながら過ごしてる。

 

大丈夫だよ幸せになっていいんだよ、頑張ってきたんだから

っていうその言葉をちゃんと信じられる日が来て欲しい。

きっとその時が本当の戦いの終わりなんだと、そう思う。

ハッピーエンドを信じたい。

ひょっとしたら、今の私はもうハッピーエンドの中にいるのかもしれない。

 

そんな日でした。